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ぶらりお散歩とプチ旅の参考書です。

【東叡山輪王寺(開山堂)】両大師「天海と良源」を祀るお寺は上野「東京国立博物館」の隣

こんにちは。今回は上野公園「東京国立博物館」の隣りにある『東叡山輪王寺(開山堂・両大師)』の参拝録です。
天海大僧正(慈眼大師)と良源(慈恵大師、元三大師)を祀ることから「両大師」と呼ばれ、庶民に信仰されてきました。『輪王寺』は、東京で唯一の門跡寺院。門跡寺院とは、皇族や公家が住職を務める特定の寺院の事なのですが、同じく上野公園にある天台宗関東総本山の寺院「寛永寺」との関係が非常にややこしいのです。

山門

山門前には、「両大師」の大きな立札。「両大師」は、厄除・疾病退治・長寿などのご利益があるとして知られています。『輪王寺』は山号 東叡山、天台宗のお寺で、ご本尊は阿弥陀如来。

『輪王寺』は、もともとは「寛永寺」のお堂の一つで、天海大僧正を祀る「開山堂」でしたが、後に「寛永寺」本坊内の慈恵堂から慈恵大師像(良源)を移し、慈恵・慈眼の二人の大師を祀った事から”両大師”と呼ばれるようになりました。
ややこしいのは、『輪王寺』はもともと「輪王寺宮」という宮様の称号で、寺号ではなかったという点。「寛永寺」は、皇族・公家が貫主を務めるお寺であった期間があり、その方々を「輪王寺宮」と尊称していましたが、戊辰戦争の後、15世輪王寺宮公現法親王が還俗、「輪王寺宮」は一時中絶となる。その後、東叡、日光両山からの要請もあり、「輪王寺」の名称が復活、門跡寺院として再興。
現在、『輪王寺』は「寛永寺」のホームページで、「開山堂(両大師)」として紹介されていますが、イメージとしては「東叡山寛永寺」境内の「輪王寺」って感じなのかな。

早速、境内へ。

厄除角大師

この”カッパ”のようなのが慈恵大師なのだそう。
平安時代に、疫病が流行った時、疫病神が慈恵大師の前に現れ、憑りつこうとしましたが、最終的には疫病神を退散させます。その時の慈恵大師の姿を弟子に写させ、版木に彫り、お札を刷ったと伝えられていますが、角と言うか、触角と言うか、人間とは思えない姿となり、疾病と戦ったんですかね!「角大師護符」や「角大師お守り」は本堂にて授与されています。最強の護符かも知れませんね。

参道の正面にあるのが「両大師堂」。

参拝したのは2月上旬。早咲きの紅梅が綺麗に咲いていました。

阿弥陀堂

山門をくぐり、右手にある「阿弥陀堂」。

「阿弥陀堂」には、阿弥陀如来、虚空蔵菩薩、地蔵菩薩の三尊が祀られています。

手水舎の手前に風鈴が飾られているコーナーがありました。鈴の音お守りと書いてありますね。

いい風合いの青銅の燈籠。

手水舎

龍が乗る台座がしぶい手水舎。

両大師堂

お堂の建立は、正保元年(1644年)、現在のお堂は平成五年(1993年)に再建されたものです。

御車返しの桜

参拝を終え、境内を散策します。
「両大師堂」前にある存在感のあるサクラに目が留まります。ソメイヨシノよりもやや遅く咲く桜で、名前の由来は、江戸時代の後水尾天皇が、京都で花見をした時、あまりの美しさに帰り道に牛車を引き戻して再びご覧になった事から「御車返し」との名前がついたのだそう。

「御車返しの桜」の根元にある「寝釈迦石」。

幸田露伴旧宅の門

明治時代の文豪・幸田露伴旧宅の門。普通っぽいので説明板がないと通り過ぎてしまいそうですね。お寺の所在地と同じ、台東区生まれとの事なので、移築したのかな。

寛永寺旧本坊表門

圧倒的存在感の重厚な扉が目を引く”黒門”と呼ばれる「寛永寺旧本坊表門」。戊辰戦争で焼け野原になった上野において、奇跡的に残った国の重要文化財です。

こじんまりとした静かな境内の『輪王寺』。「上野恩賜公園・寛永寺」散策の際、立ち寄ってみてはいかがでしょうか。

基本情報

・名称:東叡山輪王寺(両大師)
・住所:東京都台東区上野公園14-5
・電話:03-3821-4050
・開門時間:8~16時
・アクセス
-JR「上野駅」公園口より徒歩約8分
-JR「鶯谷駅」より徒歩約8分
-京成線「京成上野駅」より徒歩約15分