こんにちは。今回は、東京都江東区にある『富岡八幡宮』の紹介です。
近年、宮司のお金と地位継承などに起因した怨恨により殺人事件が発生した神社として記憶されている方も多いかと思います。ダークな部分でも知られる事ともなった「東京十社」のひとつである『富岡八幡宮』は、「深川の八幡様」とも言われ、江戸最大の八幡宮。また、江戸勧進相撲発祥の神社としても知られており、境内には大相撲ゆかりの石碑が点在しています。
大鳥居
「門前仲町駅」下車、永代通りに沿って木場方面へ歩いていくと、右側に赤い大鳥居が見えてきます。正面参道の入口です。
〇主祭神
・応神天皇(誉田別命)
〇ご由緒
創建は1627年(寛永四年)、当時永代島と呼ばれていた現在地に創祀したのが始まりとされる。(引用元:富岡八幡宮HPより)
境内案内図
なかなか見やすい案内図です。正面参道両側にある色々な記念碑を見ながら、まったり進んでいきます。
東京十社
東京十社とは、元准勅祭社12社のうち、東京から遠い「府中町六所宮(大國魂神社)」と埼玉県久喜市の「鷲宮神社」を外し、23区内にある10社を定めたもの。1975年の昭和天皇即位50年奉祝の際に企画されたようだ。
以前、「東京十社めぐり」を1日で敢行した事があります。公共交通機関を使い1日でまわるのは不可能なので、早朝から車でまわりコンプリートはしましたが、あまりお薦めできません。1社あたりの参拝時間を30分としても、10社の参拝時間は単純計算で300分(5時間)。じっくり境内を見る時間が取れないので、やはり2~3回に分けての参拝が望ましいですね。
伊能忠敬銅像
大鳥居のすぐ近くに建つ「伊能忠敬銅像」。
伊能忠敬は、この地、現・門前仲町一丁目に住み、測量旅行出発の時は必ず『富岡八幡宮』を参拝していたと言う”ゆかり”から銅像が建てられたらしい。何となく銅像が竹中直人に似ているような…。
大関力士碑・巨人力士身長碑
『富岡八幡宮』は江戸勧進相撲発祥の地として知られており、境内にはその関連の碑が
建立されているのが見どころでもあります。そのひとつが「大関力士碑」。
九代目市川團十郎と五代目尾上菊五郎が寄進した仙台石を利用して建てられた歴代の大関力士を顕彰した石碑だそうです。「巨人力士身長碑」「巨人力士手形・足形の碑」まであるなんて興味深い。
「巨人力士身長碑」は優に2mを越える石碑で、江戸時代に本当にこんな背の高い力士がいたのだろうか?とも思いましたが、碑には12名の名前と身長が刻まれています。それによると、生月鯨太左衛門 七尺六寸(2m30㎝)、大空武左衛門 七尺五寸(2m27㎝)等々。いやぁ、ビックリですね!
正面参道
広い参道を進んで、まず手水舎へ。
鳳凰の手水舎
『富岡八幡宮』の見どころのひとつ”鳳凰の手水舎”。なかなかゴージャス!
2年前に参拝した時は、鳳凰のクチバシから直接、水が流れ出ていた記憶がありますが、今は鳳凰のクチバシにチューブが突っ込まれていますね。これによって、より多人数で同時に手を清められる構造になったと言う事か…。う~ん、なんか微妙。
クスノキなどの古木が参道にせり出している雰囲気ある境内。
参道両脇に設置されている”大きな灯篭”。
神馬像。
ご本殿
江戸時代に焼失、地震による損壊があり、そして関東大震災、空襲による被害。幾度も再建・修復を繰り返してきた社殿。
横綱力士碑
参拝を終え、本殿裏手のほうにある「横綱力士碑」へ。
『富岡八幡宮』参拝の際には、必見の記念碑です。歴代横綱を顕彰する碑として、第12代横綱陣幕久五郎が発起人となり、明治33年に建立されたとの事です。尚、この碑には初代明石志賀之助から72代稀勢の里関までの四股名が刻まれています。
随分と大きな石碑です。高さ3.5メートル、幅3メートル、重さは20トンもあるそう。
貞享元年(1684年)当時は、春と秋に『富岡八幡宮』境内にて、勧進相撲が開催され、それが100年間もの間、続けられて、現在の大相撲に至ったらしい。定期興行制や番付制もこの間に確立していったとの事です。
これにて『富岡八幡宮』参拝は終了。
写真は裏参道の鳥居ですが、ここから100m程先に「深川不動堂」があるので、門前仲町に来たからには、参拝して行こうかと。次回以降アップ予定です。では、また。
基本情報
・名称:富岡八幡宮
・住所:東京都江東区富岡1-20-3
・電話:03-3642-1315
・駐車場:あり
・公式HP:富岡八幡宮へようこそ
アクセス
〇東京メトロ東西線
『門前仲町駅』より徒歩3分
〇都営地下鉄大江戸線
『門前仲町駅』より徒歩6分
Google Map